その昔、この不毛の地三方原台地に身命をかけた人々がいたことを此碑が物語る。千言万語を費やしても表現し得ない苦難の歴史。以来幾星霜その汗と涙と努力が、今ここに家畜柑橘野菜の名産地有りと津々浦々に知れわたる。久遠尊厳の開拓の碑。
(三方原の名称)和地村、祝田村、都田村の三つの村の入会地とされていたため、三方が(の)村の原」が転じて「三方ヶ原」と呼ばれるようになったとされる。(浜松御在城記)現在は「みかたばら」であるが、歴史的には「みかた・が・はら」の方が正しいかもしれません、現在でもそのように呼ばれる方もいます。