市役所の西側にある「鎧掛松」。この松は三方ヶ原合戦に負け、浜松城に逃げ帰った家康公が、鎧を脱いでその松に欠けたと言われていることからその名がつけられました。現在の松は3代目にあたり、初代の松は浜松城内の堀の近くにあったと言われています。また、当時鎧掛松近くの清水で、合戦に疲れた馬のからだを冷やしたことから、松城町に馬冷(うまびやし)という地名が今も残っています。
(参考/浜松観光コンベンションビューロー)
市役所の西側にある「鎧掛松」。この松は三方ヶ原合戦に負け、浜松城に逃げ帰った家康公が、鎧を脱いでその松に欠けたと言われていることからその名がつけられました。現在の松は3代目にあたり、初代の松は浜松城内の堀の近くにあったと言われています。また、当時鎧掛松近くの清水で、合戦に疲れた馬のからだを冷やしたことから、松城町に馬冷(うまびやし)という地名が今も残っています。
(参考/浜松観光コンベンションビューロー)