江戸時代に増福時の南西の畑に落下した隕石で、長く「玉薬師如来」として同寺の寺宝とされてきました。当時の暦で正月十二日の昼前、落下時には大きな音がとどろき、畑には大きな穴があいて、その中に黒い玉があったといいます。実際の落下地点は、この看板よりも南と推定されます。この隕石の落下した年については、元禄元年、元禄三年、元禄十七年(宝永元年)の諸説ありましたが、浜松スペースハンタークラブの研究で、元禄十七年(1704年)と特定され、国際隕石学会の2014年大会で確定しました。この隕石は現在、浜松科学館で展示されています。
(現地掲示板/浜松市教育委員会)
浜松市東区篠ヶ瀬町