新居の紀伊国屋資料館に行ってきました。籠新居宿を代表する旅籠。徳川御三家の一つ紀州藩の御用宿を務めたことで、享保元年(1716)紀伊国屋の屋号をあげ、以後宿内最大の旅籠として営業を続けました。
新居宿を代表する旅籠。徳川御三家の一つ紀州藩の御用宿を務めたことで、享保元年(1716)紀伊国屋の屋号をあげ、以後宿内最大の旅籠として営業を続けました。明治7年(1874)大火により焼失、直後に建て替えられ、昭和30年代まで旅館業を営みました。紀伊国屋は新居宿にあった、紀州(和歌山)藩の御用宿です。江戸時代、関所を出た新居宿内の東海道沿いには20数件の旅籠(はたご:現在の旅館)が軒を連ねました。
玄関土間から見渡す一階部分の風景。主人が紀州の出身で、江戸初期に新居に移り住み茶屋を営んだのが始まりといわれます。江戸時代中期の元禄16年(1703)には徳川御三家紀州藩の御用宿となっており、その後「紀伊国屋」の屋号を掲げました。昭和戦後に廃業するまで約250年、旅館業を営みました。
貴重な写真ですね。この時代に歴史があって人々が生きていた証の写真記録ですね。感慨深いですね。
秘伝のタレを用いたうなぎの蒲焼の夕食は当時は紀伊国屋での自慢料理として好評だったとのこと。
東海道五十三次の中にも新居のうなぎの蒲焼が描かれています。なんて素敵な歴史なんでしょうか。食は現代に引き継がれ、うなぎは現代でもやっぱり花形で高級ですよね。
建物は江戸時代後期の旅籠の様式を随所に残しており、往時の雰囲気を残す内部に、宿場文化を伝える資料を展示しています。
給仕の支度をここで当時の旅籠の方がされていたのですね。
水戸黄門の撮影でも使われたようです。由美かおるさんが撮影に臨んだようですよ。
各まくらを当時の人々は使っていたのですね。
二階の上がると開け放した広間があります。現代より天井が低く襖で仕切られた部屋割りです。江戸時代の旅籠(はたご/旅館)で、紀州藩の御用宿(ごようやど)だった紀伊国屋。江戸時代後期の建築様式を残す貴重な建物として、平成13年(2001)に解体修理が行われ、資料館として公開されました。建物は明治初めの再建ですが、随所に江戸期の建築様式を色濃く残し、平成13年(2001)に解体修理を行い、当時の風情を体感できる施設として公開しています。【市指定有形文化財】
一階の給仕場から外の庭へと続く扉
草鞋を履いての旅。足も疲れたでしょうね。この宿での泊まりは旅の足の疲れも癒す場所だったんですね。
紀伊国屋資料館
静岡県湖西市新居町新居1280-1(関所の西へ直進、約170m)
電 話 053-594-3821(ご入館等のお問い合わせは関所史料館へお願いします)
時 間 9時00分〜17時00分 ※入館受付は16時30分終了
休 日 月曜日(祝日の場合は振替なしで開館)、年末年始(12月26日~1月2日)、8月は無休
駐車場 駐車場はありませんので、関所駐車場をご利用ください。