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<シリーズ:はままつ今昔物語⑥>湖上に浮かぶ景勝の地、弁天島

風光明媚な浜名湖の玄関口に位置する弁天島は、明治時代から、観光地として変遷を遂げてきました。明治22()年の海水浴場の会場を皮切りに、幾多の娯楽施設が設けられ、多くの人でにぎわいました。周りを湖に囲まれ、橋で結ばれた7つの島々では、豊かな自然・美しい景観を満喫することができます。

湖上を行く鉄道。夏季のみ営業する臨時駅として弁天島停車場ができたのは、明治39()年7月。弁天島駅付近の鉄橋を渡る蒸気機関車。

現在の新幹線が走る様子。

今も残るレンガ橋脚の跡。

弁天島海水浴場。白砂青松の弁天島は、東海道沿線でも指折りの景勝地として広く知られていました。遠浅の海は水がきれいで波も静かなため、多くの海水浴客でにぎわいました。

湖上の娯楽施設。昭和28年8月、弁天島の乙女園に開設された浜名湖競艇場。翌年には、全国一の収益を上げるなど大変なにぎわいを見せました。昭和43年、新居町に移転。

弁天島の今昔。昭和3年ごろの弁天島。

昭和7年から11年にかけての埋め立て造成で、第二弁天島地域ができ、さらに昭和42年4月には渚園が完成し、現在の形になりました。

景勝地をうたった絵葉書。

 

(参考出典/浜松市公式Facebook「いいら!プラス(Plus)」

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