佐鳴湖の東北約1キロメートルの台地に位し、縄文式時代の後期の頃営まれた集落の蜆塚遺跡に行ってきました。
浜松市蜆塚遺跡には、縄文時代後期から晩期にかけて(約4000年前~3000年前)の貝塚が、大小四ヶ所あります。その内側に住居跡と墓地が発見されています。
復元家屋入り口貝塚に近接した地域に長方形の床面をもつ住居跡が群在し、貝塚もきわめて厚い層からなっていることを明かに。入り口から小さくなって中に入ってみました。土間の床。大地そのまま。しっかりと重みが感じる藁葺きの外観。土間広間は広さにしたら20畳弱くらいでしょうか。ここで何人くらいが生活していたのでしょう。
第一貝塚の断面に樹脂を固めて剥がしたものです。大昔の人々は、親から子・孫へと数千年に渡り、貝殻をこの丘の上まで運んで積み上げ続けました。貝殻も、鹿やイノシシなどの骨も、大きな個体だけを運んでいたことがわかります。蜆塚遺跡では、内湾から河口にかけて生息する貝が多く、9割以上がヤマトシジミです。このことが、地名のもとにもなりました。今は、海から遠い蜆塚遺跡ですが、縄文時代には佐鳴湖が海につながる入り江だったと考えられています。
貝塚の貝がほとんど蜆だったので、古くから蜆塚と言われてきました。
蜆塚遺跡隣接する浜松博物館に足を運びました。
貝殻から当時の生活を示す出土品は、博物館に収蔵展示されている。
蜆塚遺跡からは縄文人の墓地が見つかり、さらに当時の人骨がそのまま残っていました。貝塚の貝殻が人骨の溶けるのを防いでくれたのです。4000年前の人物の体格や丁寧な埋葬の方法がわかった貴重な遺跡です。この人物は、腕に貝輪をはめた70歳くらいの男性で、身長は150cmほどですが、骨太でしっかりした体格をしています。墓地は楕円形の穴に手足を曲げて遺体を葬った。文献パネルより。4000年前の人骨を見ることができる貴重な体験ができますよ。しみじみと感じ入るものがありますね。
電気が通っている現在、あかりもスイッチひとつで便利で快適にとることができます。しかし、電気がなかった時代には、人々は様々な方法であかりを得ていました。そのための燃料も時代によって異なっています。あかりの道具のかたちについても、室内を照らすあかり、野外のあかり、旅の道具等、使う場面によって姿を変えています。今回の展示では、当館の収蔵品から人々の生活に密接している「あかり」に関する道具を、道具の変遷とともに紹介しています。浜松市サイトより
江戸時代には鉄と石を打ち合わせる火打の方法が普及しました。
吊るしランプの下で作業する女性が描かれています。石油ランプが普及し、室内では主に釣りランプが使われました。明治36年 浜松市博物館所蔵
テーマ展「あかりの道具」
開催期間
令和2年7月25日(土曜日)~令和2年9月27日(日曜日)
開催場所:浜松市博物館特別展示室
開館時間:午前9時~午後5時
期間中の休館日:9月23・29日
観覧料:大人310円・高校生150円・中学生以下無料
70歳以上の方と障害者手帳をお持ちの方と介添えの方1名まで無料
浜松市中区蜆塚四丁目22-1
053-456-2208