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<シリーズ:はままつ今昔物語②>東西を結ぶ主要道路・東海道と浜松

古来、江戸と京とを結ぶ最も重要な幹線道路として位置づけられ、多くの人やさまざまな物質、情報や文化などが往来してきた東海道。浜松には、江戸から数えて29番目の浜松宿と、30番目の舞阪宿の2つの宿場がありました。特に浜松宿は、実距離では江戸と京のほぼ中間にあたり、東海道で最大規模を誇る宿場でした。明治以降、東海道の機能と位置は現在の国道1号線に受け継がれ、拡幅工事などにより姿は大きく変わりましたが、現在も生活に欠かせない道路として、毎日多くの人に利用されています。

昭和33年ごろの旧東海道(現在の東区薬師町)

薬師の松並木。旅人を強い日差しや風雪から守ってきた松並木。現在も、東区薬師町や西区舞阪町などに残され、当時をしのぶことができます。

大正時代の旧東海道・八丁畷(はっちょうなわて)かつてこのあたりを通る東海道の八丁あまり(およそ900メートル)が田んぼの真ん中のあぜ道だったため、そう呼ばれるようになりました。

現在の八丁畷(東区東若林町)

復元された舞阪宿の脇本陣(西区舞阪町)本陣とは、宿場で大名や旗本、公家など身分の高い人たちが使用した宿舎。天保年間(1830~1843年)には、6軒もの本陣が浜松宿にありました。また、浜名湖を渡る今切渡しの渡船場があった舞阪宿には、現在、脇本陣(本陣の予備的施設)の建物が復元されています。

浜松宿の本陣で最も古い杉浦本陣跡(中区伝馬町)

 

(参考出典/浜松市公式Facebook「いいら!プラス(Plus)」

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