(シリーズ:はままつの街道物語⑦)東海道案内―にぎやかな東海道―
鎌倉・室町時代のひくま宿は、当時の東海道が天竜川(現在の馬込川)を渡る場所に栄えました。船越や早馬という地名からも、当時の東海道が今よりもやや北を通過していたことが分かります。江戸時代のはじめには、浜松城下町が大改造され、馬込橋から連尺町までの一直線の東海道が新設されました。ひくまの商人たちは、東海道の両側に移転して、、板屋町・新町と1キロメートルあまりもつながる町屋が出現したのです。さらに、西へ向かう旅人の視点には、浜松城の大手門が写る仕掛けでした。
【地域の逸品】
古代の通行手形(県指定文化財)
伊場遺跡から見つかった市内最古の文字資料のうち、古代の東海道の通行証と思われる木の札です。
今からおよそ1,300年前、浜津郷(今の浜松の名の始まり)の人が、美濃(現在の岐阜県南部)の関所を越えて京へ向かうと記してあります。裏面には、通過する駅家(「えきや」や「うまや」と読まれます)の地名が順番に書いてあります。今の愛知県内の地名です。
大手門跡
現在の東海道
古代の通行手形(県指定文化財・伊場遺跡)
(参考出典/浜松市公式Facebook「いいら!プラス(Plus)」)