(シリーズ:はままつの街道物語⑧)東海道案内―幕末の浜松藩―
江戸時代歴代浜松城主が支配したのが浜松藩。もちろん現在の市域と一致しているわけではありません。現市内には、幕府領や旗本領、吉田(現豊橋)藩領などが混在していました。幕末の藩主井上家のころ制作された「東海道文間延絵図(ぶんけんのべえず)」から、東海道筋には、自藩の領と他領との境を示す「私領傍示杭(しりょうぼうじくい)」が立っていたことが分かります。東区薬新町の和田児童遊園には、「従是西浜松領(これよりにしはままつりょう)」と刻んだ石柱があります。同様に、南区増楽町の東海道沿い交差点脇には、「従是東浜松領」という石柱が残ります。幕末の浜松藩は、この範囲だったのです。
【地域の逸品】
全国産業博覧会絵図(部分)
昭和6年(1931)、浜松市が主催した産業博覧会のパンフレットです。表紙の特色ある鳥瞰図は、「大正の広重」と称した吉田初三郎(はつさぶろう)が手がけました。開通したばかりの東海道本線が太い赤線で、この地域を走っていた軽便鉄道が細い赤線で表現されています。天竜川には池田橋も見られます。上半期と下半期のリーフレットを重ねると、1枚のパノラマ地図が完成する趣向です。
東区の石柱
全国産業博覧会絵図(部分)
(参考出典/浜松市公式Facebook「いいら!プラス(Plus)」)