江戸日本橋より66里の距離(約264km)が浜松市中区葵東にある一里塚。
小塚(ちょっとした盛り土)には松の木などが植えられており旅人たちが休憩などに立ち寄りしばしの思いを寄せていたのかも知れません。遠き道のりをここまで来れたから次の塚までも頑張ろう…と、人生の節々を感じていたのでしょうか。 毎日まいにち歩き続けて其々の目的地にたどり着く人生みたいに、江戸時代旅人の目標値(地)だったかも。
ちなみに古文書によれば江戸より京までは12日の道のり、それを11日で歩みを止めたならなんとして京の月を拝めるか?目的を達成するにはあと一歩頑張ろう、、、と、そして今日も歩き続けるしかないのか一里塚なんて、ね。
一里塚自体は織田信長が一里を36町と決めて街道の一里ごとに塚を設けて榎や松を植えて目印としたのが始まりと聞く。
「浜松市内にある塚」
65里/小池 (静岡県浜松市東区小池町)
66里/追分 (静岡県浜松市中区葵東二丁目) 浜松市史跡
67里/東大山 (静岡県浜松市西区大山町、北区三方原町) 浜松市史跡
68里/老ヶ谷 (静岡県浜松市北区細江町気賀)
69里/山田 (静岡県浜松市北区細江町気賀)
70里/大谷 (静岡県浜松市北区三ヶ日町大谷)
71里/三ヶ日 (静岡県浜松市北区三ヶ日町三ヶ日)
72里/本坂 (静岡県浜松市北区三ヶ日町本坂一里山)浜松市史跡