元亀三年、年の瀬に武田信玄の大軍と無勢の徳川家康軍が三方原で激突。結果は火を見るよりも明らかで家康は浜松城まで敗走します。犀ケ崖は浜松城手前まで追い詰めた武田軍へ奇襲をかけて谷に落としたといわれ、また布をかけて橋に見せかけ武田軍を谷へ落としたともあります。敷地内と近くには戦いの顕彰碑があります。本多忠真の顕彰碑/徳川四天王の一人本多忠勝の叔父にあたる武将で敗走する徳川軍のしんがりを買って出て討ち死にした。夏目吉信の顕彰碑/同じく敗走中の徳川軍で「われこそは家康なり」と言って身代わりになり犀ケ崖付近で討ち死にした武将で知られている。見所満載の犀ケ崖資料館、今年は直虎びいきで訪問者も増えているとか。ぜひ歴史1ページをご覧ください。
参考資料/犀ケ崖資料館