家康の散歩道(シリーズ3/15)椿姫観音

亡き夫、飯尾豊前守に代わり、引間城主となったお田鶴の方。しかし徳川勢との戦いの末、命を落とします。母同士が義理の姉妹にあたる築山御前(家康公の正室)は彼女の死を哀れみ、塚の周りに100株余りの椿の花を植えたと言われています。椿は毎年美しく咲き誇り、いつしか椿塚と呼ばれ、それが椿姫の名の由来になったと言い伝えられています。

00000 00002 000003 000004 000005 00000123%e5%85%b1%e9%80%9a

 

 

(参考/浜松観光コンベンションビューロー)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメントは利用できません。

Twitter でフォロー

ピックアップ記事

  1. 幸運は爪先から♪お気に入りのネイルと癒しの時間が両方叶う、リピーター続出!至福のプライベートネイルサロンAquaさん。

    浜松市中区の住宅街にある、プライベートネイルサロンAquaさんにやって来…

アーカイブカレンダー

2024年11月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

最近の投稿

フォローする

ページ上部へ戻る