浜松藩の領地境界の標柱(ひょうちゅう)   浜松市南区

江戸時代、宝永二年(1702)に高塚(当時は高塚村)は堀江領になったが、増楽(増楽村)以東は浜松領であった。これはその領地の境を示すために建てられたしるし(標柱)です。かつてはこの場所より西側にありましたが国道拡幅整備により現在の場所に移しました。以前は堀江領側にも傍示石と称する境を示すものが存在したようです。

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(参考/現地掲出板より)

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