家康小話にその地名「小豆餅/あずきもち」が出てくることは有名で、由来については地域の語りとなってます。70年ほど前この場所に飛行航跡を測る日本軍教育部隊が設置されていました。昭和20年の戦局悪化までの約3年間、おおよそ5千人の従事者が携わり航測技術を習得した者は後に前線へ通信要員として送られていました。ただし、航測手として戦地に送られていた帰還兵手記によれば転戦敗走の連続で任務はほとんど遂行できなかったようです。今は子供達の笑い声か聞え地域の憩いの場となってます。
(一部/浜松市史デジタルアーカイブ)