<シリーズ:はままつ今昔物語③>東海道の脇街道・姫街道と浜松
東海道見付宿(磐田市)と御油宿(豊川市)を結ぶ、東海道の脇街道。姫街道という由来は、女性が多く利用したからという説や、本街道である東海道を男に見立て、脇街道を女としたことから「ひめ」になったいう説があります。しかし、姫街道という名に似合わず、通行者を厳しく取り締まった気賀の関所がある他、東海道よりも距離が長いなど、通行するには厳しい街道でした。
昭和35年ごろの姫様道中
現在の姫様道中。毎年4月の第1土・日曜日に行われている姫様道中。姫街道を歩く当時の隊列を表現しています。姫様を中心に百数十人からなり、気賀小学校前を出発して、商店街や気賀関所などをまわります。写真は、都田川堤防。
気賀関所。1601年に徳川家康公によって設置され、鉄砲の持ち込みを厳しく取り締まりました。現在は、復元された冠木(かぶき)門、本番所、向番所などの建物を見ることができます。また、関守の人形を置いて、当時の様子も再現しています。
昭和42年の追分一里塚。
現在の追分一里塚(中区葵東2丁目)。江戸から66番目の一里塚。もとは道路の左右に一里塚がありましたが、現在は道路の南側のみ残っています。
(参考出典/浜松市公式Facebook「いいら!プラス(Plus)」)