<シリーズ:はままつ今昔物語⑦>浜松と奥山を結んだ奥山線
浜松の中心部から三方原、金指、気賀、井伊谷を経て、奥山(北区引佐町)へと続いていた遠州鉄道奥山線。線路の幅が狭く、かわいらしい小さな車両は、人々に「軽便」と呼ばれ親しまれました。開業は大正3(1914)年(当時の運営は浜松軽便鉄道)で、9年後には、奥山までの全線が開通。住民や奥山方広寺への参拝客などの足として活躍するも、乗客数の伸び悩みや、施設改良に高額を要することなどから、昭和39(1964)年10月31日、惜しまれつつ50年の歴史に幕を閉じました。
広沢駅に到着した奥山線の写真。昭和39(1964)年、廃線直前の広沢駅(中区広沢一丁目)。線路跡の多くは道路に転用され、一部は遊歩道として整備されている。
広沢駅のあった場所の現在の様子。
ラッキョウ軽便。昭和25(1950)年から翌年にかけての電化・ディーゼル化まで活躍した蒸気機関車。煙突の形から、こう呼ばれ親しまれました。写真は、大正4(1915)年10月、浜松市立浜松高等女学校(現・浜松市立高校)の生徒400人を乗せたラッキョウ軽便。
鉄橋を渡る奥山線。昭和30(1955)年ごろ、都田川に架かる祝田(ほうだ)橋(北区引佐町中川)を渡るディーゼル機関車。客車と貨車を牽引している。現在のこのあたりには、国道257号の新祝田橋が架かっている。
二俣線との立体交差。奥山線は金指駅(北区引佐町金指)と岡地駅(同細江町三和)の間で、国鉄二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)と交差していた。現在も、道路脇にコンクリート製の陸橋の一部が残る。
れんが造りの橋梁跡(北区引佐町奥山)。
(参考出典/浜松市公式Facebook「いいら!プラス(Plus)」)