<シリーズ:はままつ今昔物語⑧>あばれ天竜を渡す
長野県の諏訪湖を源とし、太平洋に注ぐ天竜川。その豊かな水量で産業や人々の生活に恵みをもたらす一方、かつてはあまたの災害を引き起こし、「あばれ天竜」と呼ばれた国内屈指の急流です。古代から近代に至るまで、東海道の難所として旅人を阻みましたが、渡船から、浮き橋や舟橋、木製の橋を経て、現在は堅牢な鉄橋が人々を安全に渡します。
天竜橋と天竜川橋(天竜川文庫蔵)。木造の天竜橋(手前)が完成したのは、明治22(1889)年のこと。人を9厘、馬を3銭で渡す有料の橋だった。昭和8(1933)年、やや上流に国道天竜川橋(奥の鉄橋)が架かったのち、その役目を終える。
船による渡河。江戸時代には、軍事上の目的で固定した橋が架けられることはなく、渡船によって旅人を運んでいた。【歌川広重「保存堂版東海道五拾三次 見附」浜松市美術館蔵】
材木の集積場。天竜川の水運は、古代、交易において重要な役割を担った。危険な急流を越えて、北遠からは薪やお茶、楮(こうぞ)などが運ばれ、材木はいかだに組まれ流された。
バスを運ぶ渡船。渡船より人だけではなく、車や荷物も運んでいた。特に、現在の天竜区などの上流部では、唯一の渡河手段として重宝された。写真は、現在の天竜区横山町付近。
新天竜川橋。国道1号の新設に伴い建造された新天竜川橋は、昭和40(1965)年に2車線で開通。その後、昭和48(1973)年に4車線化、さらに平成18(2006)年には歩道設置や8車線化がされた。
(参考出典/浜松市公式Facebook「いいら!プラス(Plus)」)