<シリーズ:はままつ今昔物語⑨>遠鉄電車が旭町から発していたころ

遠州鉄道鉄道線(西鹿島線)の新浜松駅~助信駅間の高架化が完成したのは1985(昭和60)年12月。これに伴い、起点の新浜松駅は旭町(現・中区旭町)から鍛冶町(現・中区鍛冶町)に移転し、線路のルートや駅の配置も大きく変わりました。それから27年後の2012(平成24)年11月、助信駅~上島駅の高架化がついに完成。周辺道路の整備とあわせて、交通渋滞緩和や市街地の一体化など、さらに暮らしやすいまちづくりへの効果が期待されています。

旭町にあった遠鉄本社ビルと新浜松駅(写真中央)。写真は1979(昭和54)年。遠鉄本社ビルは1929(昭和4)年に建設された。鉄道線(西鹿島)の線路はここから東へ向かい、馬込川にほど近い遠州馬込駅でスイッチバック(折り返して方向転換)し、ゆるやかに北へとカーブしていた。

現在の旧新浜松駅付近。1981(昭和56)年2月、周辺の道路工事などに伴い、新浜松駅はおよそ100メートル東の仮駅舎へ(4年10カ月後の高架化完成まで使用)。翌3月には、遠鉄本社ビルも解体された。現在、跡地は道路やホテルになっている。

遠州馬込駅(松江町(現・中区中央三丁目))の駅舎。東海道本線の線路に隣接する形で設置されていた駅。遠鉄電車はここで向きを変え、新浜松へ、西鹿島へと向かっていった。。

遠州馬込駅のホーム。

遠州浜松駅(早馬町)の駅舎。駅舎の屋上にゴルフ練習場が設けられていた。現在、この場所にはクリエート浜松が建てられ、近くには遠州病院駅がある。

遠州浜松駅のホーム。このホームはカーブを描いていた。

 

(参考出典/浜松市公式Facebook「いいら!プラス(Plus)」

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