(シリーズ:はままつの街道物語③)姫街道案内―東区の巻―
三方原台地を南東へ向かう姫街道は、有玉西町で眼下に天竜川の平野を見ることになります。ここには二重坂(ふたえざか)、宇藤坂(うとうざか:写真1枚目)という二段の坂があって、馬込川岸まで一気に下ります。奈良時代の神明平遺跡や平安時代の坂上田村麻呂伝説、さらに武田信玄に関わる大菩薩山や欠下城など、この地が常に交通の要衝だったことをうかがわせます。小池の一里塚跡、市野宿の名残を越えて、安間家にも関わる江塚を通過して東海道に合流しています。東海道との分岐にあった道標(写真2枚目)は、今は天竜協働センターの庭にあります。なお、江戸時代以前は、市野宿から白鳥町付近向かい、天竜川を対岸の匂坂へ渡って見付の遠江国府へ向かう道筋が利用されたようです。白鳥町の子安神社付近はかつて富田市(とみだいち)と呼ばれ、中の町屋(現中野町)と並んでにぎわった場所でした。
【地域の逸品】
東区有玉南町の馬込川沿いに、西畑屋遺跡があります。ここでは、古墳時代の終わりごろ(今から1300年前)、当時の川原に大勢の古代人が集まり、大がかりな飲食をするお祭りがあり、100体を超える粘土で作った馬形と人形が使われました。同じ時代の九州では、街道が川を渡す場所で、事故のないように馬形と人形をまつったとあります。古代の馬込川は、天竜川の本流だったと考えられます。姫街道も古代から続く主要な道路だったのでしょう。
宇藤坂上
安間道標
西畑屋祭祀土器
(参考出典/浜松市公式Facebook「いいら!プラス(Plus)」)