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タグ:はままつ
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<シリーズ:はままつ今昔物語⑩>発展しゆく街中を巡った市営バス
市内で初めてアスファルト舗装路ができたのは、1927(昭和2)年。道路整備が進んでいく中で、次々と乗合バス事業が興りました。1936(昭和11)年に事業開始した市営バスは、路線の拡張や運行回数を増やし発展。「市民の足」と… -
<シリーズ:はままつ今昔物語⑦>浜松と奥山を結んだ奥山線
浜松の中心部から三方原、金指、気賀、井伊谷を経て、奥山(北区引佐町)へと続いていた遠州鉄道奥山線。線路の幅が狭く、かわいらしい小さな車両は、人々に「軽便」と呼ばれ親しまれました。開業は大正3(1914)年(当時の運営は浜… -
<シリーズ:はままつ今昔物語⑥>湖上に浮かぶ景勝の地、弁天島
風光明媚な浜名湖の玄関口に位置する弁天島は、明治時代から、観光地として変遷を遂げてきました。明治22()年の海水浴場の会場を皮切りに、幾多の娯楽施設が設けられ、多くの人でにぎわいました。周りを湖に囲まれ、橋で結ばれた7つ… -
<シリーズ:はままつ今昔物語⑤>東海道本線の高架化と浜松駅周辺
1979(昭和54)年10月、市民の長年の悲願であったJR(当時の国鉄)東海道本線の高架化事業が完成。それに伴い、浜松駅とその周辺も大きく変化しました。高架化された線路と駅舎は、1964(昭和39)年に開通した東海道新幹… -
<シリーズ:はままつ今昔物語③>東海道の脇街道・姫街道と浜松
東海道見付宿(磐田市)と御油宿(豊川市)を結ぶ、東海道の脇街道。姫街道という由来は、女性が多く利用したからという説や、本街道である東海道を男に見立て、脇街道を女としたことから「ひめ」になったいう説があります。しかし、姫街… -
<シリーズ:はままつ今昔物語②>東西を結ぶ主要道路・東海道と浜松
古来、江戸と京とを結ぶ最も重要な幹線道路として位置づけられ、多くの人やさまざまな物質、情報や文化などが往来してきた東海道。浜松には、江戸から数えて29番目の浜松宿と、30番目の舞阪宿の2つの宿場がありました。特に浜松宿は…