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タグ:直虎
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家康の散歩道(シリーズ15/15)太刀洗の池
1579(天正7)年、家康公の正室・築山御前と長男・信康が敵方と内通したとの疑いから、織田信長の命令で、家康公は2人の処刑を家臣に命じたといわれています。岡崎城から浜松城へ向かうため佐鳴湖を船で渡った築山御前は、待ち伏せ… -
家康の散歩道(シリーズ14/15)浜松市博物館(蜆塚遺跡となり)
ナウマンゾウの骨格標本も人気の浜松市博物館は、1979(昭和54)年、蜆塚遺跡のあるこの地に開館しました。「原始〜中世〜近世〜現代」と展示物で浜松の歴史を知ることができます。徳川家康公関連の代表的な資料に「徳川十六将図(… -
家康の散歩道(シリーズ13/15) 宗源院
宗源院は、普済寺13派のうちに数えられる歴史の古い曹洞宗の寺院です。境内には三方ヶ原合戦の際に奮戦し討死した成瀬正義や外山小作、遠藤右近など徳川方の武将のお墓があります。また、今川義元ら直筆の市指定文化財「今川公判物」も… -
家康の散歩道(シリーズ12/15) 西来院
西来院には、謀反の疑いから佐鳴湖畔で38歳の生涯を閉じることになった家康公の正室・築山御前の霊廟(月窟廟)がおかれています。またその近くには家康公の異父弟の松平源三郎康俊の墓もあります。毎年4月下旬〜5月上旬には本堂前庭… -
家康の散歩道(シリーズ11/15) 普済寺
普済寺は、遠江における曹洞宗の拠点となるお寺です。当初は現在の中区寺島町付近にありましたが、現在の場所へ移転し、広沢山普済寺と山寺号を改めました。三方ヶ原合戦では、兵火にあって伽藍が炎上、その後も災禍により被害を受けまし… -
家康の散歩道(シリーズ10/15)夏目次郎左衛門吉信の碑
夏目吉信は、1563(永禄6)年の三河一向一揆の時に捕らえられ処刑されるところを、家康公の寛大な処置により助けられました。依頼この恩義を忘れることが無かった吉信は、三方ヶ原合戦の際、主君家康公の身替わりとなって敵陣の前に… -
家康の散歩道(シリーズ9/15)犀ケ崖古戦場
三方ヶ原合戦で大敗を喫し、命からがら浜松城に帰り着いたその夜、家康公は武田信玄に一矢報いるべく、鉄砲隊をひきいて夜襲をかけました。地理不案内な武田軍は混乱し、次々と犀ケ崖の深い谷に転落し、多くの命を失ったと言い伝えられて… -
家康の散歩道(シリーズ8/15)本多肥後守忠真の碑
犀ヶ崖資料館の敷地内の東に、本多肥後守忠真の戦功の碑があります。後に「徳川四天王」の1人として名高い本多忠勝は、忠真の甥にあたる人物です。武田軍との戦いで敗戦が濃厚担った際、忠真は主君家康公の命を守るため、自ら殿(しんが… -
家康の散歩道(シリーズ7/15) 浜松城
遠江の経路拠点としては引間城が手狭であったことから、家康公は西南の丘陵地に大規模な築城を行いました。1570(元亀元)年に家康公が浜松城に入城した際に、引馬を浜松と改めたといわれています。現在残っている遺構は天守曲輪を中… -
家康の散歩道(シリーズ6/15)家康公鎧掛松
市役所の西側にある「鎧掛松」。この松は三方ヶ原合戦に負け、浜松城に逃げ帰った家康公が、鎧を脱いでその松に欠けたと言われていることからその名がつけられました。現在の松は3代目にあたり、初代の松は浜松城内の堀の近くにあったと…