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家康の散歩道(シリーズ6/15)家康公鎧掛松
市役所の西側にある「鎧掛松」。この松は三方ヶ原合戦に負け、浜松城に逃げ帰った家康公が、鎧を脱いでその松に欠けたと言われていることからその名がつけられました。現在の松は3代目にあたり、初代の松は浜松城内の堀の近くにあったと… -
家康の散歩道(シリーズ4/15)東照宮(引間城趾ひくまじょうあと)
東照宮は1886(明治19)年に創建されました。石の鳥居の横に「曳馬城跡」と刻まれた史跡碑があります。社殿の扉や屋根には三つ葉葵の紋所が見られ、家康公を祭神としているお社であることを示しています。1568(永禄11)年に… -
家康の散歩道(シリーズ3/15)椿姫観音
亡き夫、飯尾豊前守に代わり、引間城主となったお田鶴の方。しかし徳川勢との戦いの末、命を落とします。母同士が義理の姉妹にあたる築山御前(家康公の正室)は彼女の死を哀れみ、塚の周りに100株余りの椿の花を植えたと言われていま… -
家康の散歩道(シリーズ2/15)浜松八幡宮
凛とした空気が漂う浜松八幡宮境内に茂る「雲立のクス」。三方ヶ原合戦で敗走してきた家康公がこのクスの洞に逃げ込み追手から身を隠していたところ、突然雲が立ち上がり、神霊が白馬に跨がって浜松城へ飛び立ったのを見て勇躍した、とい… -
姫街道の松並木(ひめかいどう) 浜松市指定史跡
この街道を姫街道と呼ぶようになったのは、おそらく江戸時代、特に婦女子の道中が多くなったためであろうといわれている。現在は3.8Kmに及ぶ街道の片方に松並木があり往時を思わせるコンテンポラリーアベニューになっている。 … -
住吉南古墳 (浜松市指定史跡)古墳時代中期末頃の墓
浜松市中区にあります住吉南古墳は三方原台地の先端に築かれた直径28メートルの円墳となります。 浜松市内に残る古墳の中では最も大きな古墳とされ古墳時代中期末頃で台地の南突端にあり眺望の良いところから首長の墓の一つと思… -
金八崖(花川運動公園)その昔壮絶なる戦場跡 浜松市北区吉野町
三方原合戦では犀ヶ崖の古戦場(布橋)があまりにも有名すぎてこの花川運動公園でかつて壮絶な武田軍との戦いがあったことはほとんど知られていません。花川はテニスコートで多くの市民の皆さんに親しまれております… -
追分一里塚 史跡から学ぶ人生道… 浜松市中区葵東2丁目
江戸日本橋より66里の距離(約264km)が浜松市中区葵東にある一里塚。 小塚(ちょっとした盛り土)には松の木などが植えられており旅人たちが休憩などに立ち寄りしばしの思いを寄せていたのかも知れません。遠き道のりをこ…